初めての妊娠では分からない二人目の妊娠で分かったこと

上の子を妊娠した時は、初めての妊娠だったし、待ちに待った待望の妊娠でもあったので、お腹の子に何かあってはいけないと、とにかくいろんなことに神経質になっていました。重いものは絶対に持たなかったし、コーヒーもチョコもコーラも「カフェインが入っているから」と口にしなかったし、お菓子(特に生菓子)は原材料を見て、お酒が使われていないか必ずチェックしていました。常にネットで妊娠・出産の情報を検索していたし、妊娠中に食べてはいけないものは常に常にチェックしていました。でも、二人目を妊娠した時は、全然違いましたね~。まだまだ上の子が小さかったし甘えん坊だったので、毎日のように抱っこしてました。重さにしたら10kg以上の子供を臨月まで普通に抱っこして歩いてましたね。最初の妊娠で「重いものもったら流産しちゃうかも!」て買い物袋も持たなかった日々は何だったんだろうな?て感じです。食べ物も、全然気にしないでなんでも口にしていましたね(アルコール以外)。妊娠中の重たい体で、元気いっぱいの幼児の相手をするだけでもすごい疲れるし、膀胱が子宮に圧迫されて、尿意で夜中に何度も目が覚めてしまって、妊娠6か月くらいから寝不足で、コーヒーとかチョコとかとらないと、子供の相手をする元気が出ませんでしたね。食べ過ぎには注意してましたけど・・・。生菓子も、「ちょっとくらいなら大丈夫でしょ」と、アルコール入りのものも普通に食べてました。上の子の時は、安産で産みたいと、臨月になったら毎日階段の上り下りをしたけど全然陣痛が来なくて、結局予定日を過ぎてバルーンで子宮口を開いて出産になりました。一応、子宮口が開いたら普通に陣痛が来て安産ではありましたが・・・。でも二人目の時は、臨月のある日ちょろちょろと破水してることが分かって即入院。その日の夜に陣痛が来て、これまた安産でした。その時思ったのは、階段の上り下りくらいじゃ陣痛なんかこないんだな~って事。臨月入っても毎日10kg超の子供を抱っこして、あちこち駆け回る子供を追いかけて普通にダッシュしちゃったりして、一人目の時とは比べ物にならないくらい臨月の日々はしんどかったけど、あれくらい動かないと陣痛って来ないんだろうな、て。じゃあ、生まれた子に差はあるか?って言われると、二人とも全然元気で健康です。何かを気にしても気にしなくても、子供にはさほど影響はなかったな、て思いました。あれほど妊娠中に食べ物に気を使っていた上の子よりも、何でも食べてた下の子の方が肌が強いくらいですもん。

夫もみんな神経質になりすぎていた長女妊娠期の思い出

長女の妊娠期は第一子と言うことで私も、夫もみんな神経質になりすぎていて大変でした。食生活にも非常に気を遣い、糖分や油分を控えてバランスの良い和食のみを食べていたので非常にストレスがたまりました。しかも臨月までずっと働いていて、体も使う仕事だったのでなおさらでした。
 妊娠自体は計画していたことで、家族もみんな喜んでくれ、職場も理解のあるところだったのでみんなお祝いしてくれたので妊婦生活は順調に始まったように思われました。つわりなどは一切無く、仕事に支障は無かったのは幸いでした。職場の同僚も上司も気を遣ってくれたのですがどうしても重い物を持ったり動き回らなければいけない仕事なので、それはどうしようもありませんでした。
 しかも、安定期に入る前に大きな仕事があり、いつも以上に忙しく、かつ体を使わなければいけない日々が続きました。その大きな仕事が終わって、職場全員でお疲れ様の飲み会(もちろん私はアルコールなどは一切口にしていないのですが)をして帰宅した夜、急に出血があり、最初は何が何だかわからず明日ちょうど産院で検診だからついでに診てもらおうなどとのんきに構えていました。ところが、出血が多くなり、不安になってきて仕事中の主人に電話をして事情を話すとすぐに産院に電話で聞いてみるようにと言われました。そう言われて始めて、思ったよりも大事なのかなと思いながら産院に電話するとすぐに来るようにと言われました。ますます不安に思いながらも産院について診察を受けると切迫流産で絶対安静の即入院と言われ、戸惑う私に「今は赤ちゃん大丈夫だけど、絶対安静にしないとどうなるかわかりませんよ」と先生のとどめの一言で入院生活が始まりました。
 入院生活はひたすら退屈でした。自覚症状は出血があるだけで痛みもなく、元気なのに絶対安静でトイレ以外は全く動けないのです。急に入院になった私にこのときも理解のある職場で、「大丈夫だから、しっかり安静していてね」とみんなが言ってくれたのがこれも幸いでした。
 主人が退屈だろうと本を山ほど持ってきてくれたので読書三昧で日々を過ごし、三週間してやっと自宅安静に切り替えることができました。
 職場に復帰しても良いと産院の先生に言われたのはそれからさらに二週間後でした。仕事復帰してからは同僚がみんなで気を遣ってくれ、その後なんとか臨月まで働いて、それ以上のトラブルもなく産休に入ることができました。
 陣痛が始まってから出産を終えるまでに30時間もかかったことや、赤ちゃんにへその緒がひっかかっていて出てきた後もなかなか呼吸が始まらなかったなどの出産時の苦労も、無事に生まれたので全てよしとしています。

現在妊娠34週の初産の今考えるあっという間の妊娠期間

現在妊娠34週の初産です。妊娠がわかる前まで正社員として仕事をしていました。妊娠がわかったのは8週のころで本当に初期でした。妊娠がわかってうれしかったです。そして割とすぐにつわりが始まりました。常に気持ち悪くて、食べても戻す日々。体重も落ちていきそんな中でも検診に行くと赤ちゃんは少しづつ形になっていくのがわかって、毎日のつわりにも必死に耐えることができました。職場は男性社員が多く、パートのおばちゃんが2人。なかなかつわりも理解してもらうことができなくてトイレに閉じこもっていることも多かったです。また仕事柄どうしても外回りの営業もあったのでお客さんの前では笑顔でいることが辛かったです。

つわりの体調の悪さも加わっているのか、精神的にも不安定になることが多くて毎日のように泣いていたり私なんかが母親になっていいものなのかと悩み続けたり。まだ安定期にも入っていないときだったので無理をしないようにしているけれどもしも流産したらどうしようとか不安になることばかりでした。つわりのピークも過ぎると気持ち悪さから解放されて今度は食事内容に気を遣うようになりました。赤ちゃんも少しづつ人間らしい形になっていくのがわかり、母親になる実感も少しづつ出てきました。子宮が大きくなるので骨盤が広がって腰が痛むことが多く仕事もきつく感じることが多くなりました。初めて胎動を感じたときはお腹の中で泡がはじけるみたいで不思議な感覚でしたが初めて我が子を感じることができてすごくうれしかったです。それからは毎日お腹に向かって話しかけるようになりそれに応えて胎動を返してくれるととてもうれしかったです。

妊娠する前までは一度もかかったことのなかったインフルエンザに人生で初めてかかりました。高熱が出て体を動かすのもつらい、それ以上におなかの赤ちゃんが心配でした。先生にも看護師さんにも大丈夫と言われ少し安心しました。いままで何年かに一回くらいしか風邪も引かないくらい健康だったのに妊娠すると免疫力も落ちるのだなと改めて思いました。

安定期に入ると体調も落ち着く日が増えてきましたが疲れやすく家事もきちんとできないまま寝てしまうことも多かったです。お腹も少しずつ目立ってくるようになってきてまた成長を感じる嬉しさとともに、出産が近づいてきた怖さも出てきました。妊娠が発覚してから7か月ほどが経った今ですが、毎日あっという間に過ぎていきました。あと少しで赤ちゃんに会える、出産は怖いと思いますが楽しみもいっぱいです。

初めての妊娠は20代の頃でした。
自分の性格は極めて几帳面で、他人の言うことはきちんと聞けるし、勉強もそれなりに頑張って成績をあげ、社会に出てからも人の役に立ってきたという自負が有りました。

ところが、妊娠を切掛けに自分という人間の努力ではどうしようもないことが山のようにあることに気づかされました。

まず、医師や助産師さんの言うことを聞いていても、体は思うように健康状態を保ってくれません。

妊娠後期になって切迫早産の診断を受け、急きょ入院生活を余儀なくされました。
20日間ほど安静を保ってベッドで点滴の生活。

病室の白い天井を眺めながら「何もかも完璧にやってきたはずの自分が何故こんな目に遭うのだろう」と悔しい思いさえしました。

しかしながら、その僅かな入院期間で色んな妊婦さんと出会い、情報の交換も出来ました。
経産婦さんの話を聴くと、本当に妊娠というのは人の数だけ違うパターンが有るのだと実感させられました。

その後私の切迫早産も一段落して、退院の運びとなりました。

退院して40日目くらいに出産の兆しが有りました。

最初は夜中に微弱な陣痛らしきものを感じましたが、初めての経験のために、それが陣痛かどうかは自分でも判らず、ただ時間の経過とお腹の痛みを照らし合わせて時が過ぎるのを待ちました。

通常なら陣痛の間隔は狭まって来るのでしょうが、私の場合は1時間に1回痛むかどうか、という程度の痛みだったので、意外と暢気に構えていました。

ところが、初期の陣痛から3時間ほど経過した頃から少しずつ痛みの間隔が狭まってきました。

何せ初めてのことで不安だったので病院に電話をかけると、当直の看護士さんが翌朝の外来受診を薦めました。

一旦電話を切って、しばらく経過観察しましたが、再び痛みの間隔が狭まったように思えたので、再度病院に連絡して「今から行きます」と伝えました。

病院では心拍モニターをつけられて、間も無く破水。
ところが、すぐにお産の準備には至らず、しばらく経過観察。

朝になって主治医が来ても慌てて出産の準備をするわけでもなく、まだ子どもは下りて来ていないとのこと。

羊水が無くなったらどうなるんだろう?

そんな不安を抱えながら、不定期に襲ってくる陣痛に耐えました。

結果、破水から丸1日以上経過したので安全策をとって帝王切開にしましょうということになりました。

規則正しい妊娠生活を送って、食事や健康管理に気をつけていても切迫早産になるし、母親学級で真面目に話を聴いて、呼吸法もマスターしても、結局は自然分娩できなかったことに少しの悔しさと罪悪感が有りました。

何よりお腹に傷が付いてしまったことのショックがしばらく消えませんでした。

想い描く理想とは程遠いものですね。
妊娠も出産も、自然には逆らえないと痛感しました。

出産のその日までずっと待ち望んだ体重増減ゼロの妊婦生活

ひとりめの子どもを妊娠したときは、妊娠に気がづいた日から出産のその日までずっとつわりが続きました。

結婚後、妊娠希望をしていたため、半年間後にやっと赤ちゃんを迎えられるとわかったときはとても嬉しかったのですが、その日以来乗り物酔いをしているような状態がはじまりました。

眠っているときは良いのですが、起きているときはずっと乗り物酔いをしているような状態で、これが安定期に入ってからも収まらないことには本当にがっかりしました。
妊婦さんの多くが経験する、ごはんの炊ける臭いやスーパーの臭いなどもダメになりましたが、幸いだったのは気分が悪いだけにとどまって、吐いてしまうところまではいかなかったことでしょうか。

常に気分が悪いのですが、家事や食事の支度は夫のためにやらなくてはならなかったので、炊飯中は別の部屋に避難するなどの方法でなんとか頑張っていました。
どちらかというと人よりもたくさん食べるほうですし、食べることが大好きだったわたしですが、当然食欲も落ちました。

食べたいものがときどき浮かぶので、優しい夫は料理してくれたり買いに行ってくれたりしたのですが、その気持ちが申し訳ないくらいほとんど食べられないこともありました。
食べられそうなものが浮かんで、食べている自分を想像して大丈夫そうだと思うのですが、実際口に運ぶとひと口でギブアップしたり、半分程度残してしまうことも多かったです。

つわりと暮らした10か月間は本当に辛かったです。
いつになったらよくなる日が来るのか、毎日明日こそはという気持ちで寝たものです。

妊娠後期になるとお腹も大きくなり、今度は子宮が圧迫することによって胃の不快感も増し、ゲップがうまく出せない状態になるなどして不眠が始まりました。
肉体的にも精神的にも本当にしんどい日々でしたが、予定日前に逆子がわかり急きょ帝王切開手術で出産することになったときは少し安心しました。

健診の日に、今日の午後手術をしないかといわれ、本当に緊急状態だったのですが、一度準備に帰って忙しく荷造りをしながらもわくわくしていたのを覚えています。
実際は地獄のような手術だったのでそのあとにさらにひどい思いをすることになるのですが…。

妊娠中にずっと続いたつわりは、帝王切開の手術後には嘘のように消えていました。
結果的にわたしは体重増加がまったくなかったのです。赤ちゃんの重さと羊水などを含めると、自分自身の体重は減少したことになります。

本当に嬉しかった妊娠をしたときの体験談とその苦しみ

一人目を出産した後、年子で次の子産んでもいいね、なんて夫と話していたのに、蓋を開けてみたら6歳の年の差姉妹になってしまいました。その間、流産したり、異常妊娠があったり、辛い思いをたくさんしたので、妊娠初期は嬉しかったけれど気が抜けない、というのが本音でした。異常妊娠の時と同じ病院に通っていたので、先生が「これなら大丈夫」と言ってくれた時が本当に嬉しくて、内診台の上で涙が出てくるくらいうれしかったです。

数年間私が一番欲しかったもの、それはカバンなどに付けられるマタニティマークです。あれを付けている人を街で見るたびに胸が苦しくなっていて、夫に誕生日に何が欲しい?と聞かれた時にはあれが欲しい、と答えてしまうくらいせっぱつまっている感じでした。ですから、実際に区役所であれをもらえた時は本当に本当に幸せでした。どんな宝石やブランドものでも、あの時の嬉しさにはかなわないと思います。

それからは本当に幸せな妊婦生活を送りました。つわりはきつく、だるさで全然動けず、食べ物もにおいだけで吐いてしまうこともしばしばでしたが、2人目を妊娠中、母は動かないわけにはいかないです。普段は幼稚園バスに乗れるのですが、何かの行事の時には自分で幼稚園まで自転車を漕いで連れて行ったり、そのまま行事に参加したり…滅茶苦茶忙しかったです。その時年長だったので小学校に入る準備のためにランドセルを選びに行ったり、妊婦生活をゆっくり満喫することはできませんでした。

それでも子供の胎動を感じたり、検診で子供の顔を見ると幸せしかありませんでした。一人目の出産の後に色々出産や先天性の子供の病気について聞くことも多く、耳年増になっていたので不安もありました。35歳の出産、それも不安要素の一つでした。でも、流産、異常妊娠、それらの後にしっかりとおなかに来てくれたこの子は絶対に強い子に違いない、そんな風に信じていました。

出産予定日は娘の運動会の4日後でした。長女を36週で出産していたため、その日までには産まれてしまうかも…と思っていましたが、娘が必死にお腹にしていた説得が聞いたのか(?)産まれてきませんでした。運動会当日は、見に行っていたけれどまったく動けず、何も覚えていません。クラスに助産師さんがいたので破水したらお願いね、なんて笑っていました。運動会から1週間、予定日の4日後、無事に娘は産まれてきてくれました。長女の時は陣痛促進剤、吸引、と科学の力を借りましたが、今回は自力で出産できました。産まれた直後に元気に泣いてくれた娘に本当に感謝しかありません。

つわりは辛かった~寝てばかりいた妊娠生活

私の妊婦生活は喜びも大きかったけど,つわりが酷く辛い生活でした。妊娠期間中の体調は本当に個人差があります。あとから聞くと元気な友人は9カ月まで働いていたとか,海外旅行にも行ったとか,マタニティスイミングに行って妊婦友達とランチをしたという話を聞いたりしました。自分の妊婦生活と比べると心から羨ましかったです。私は子供が出来にくかったので仕事を辞めて今でいう「妊活」をしていました。幸いなことに割と早くに妊娠しました。基礎体温も計っていたので妊娠したのではないかとすぐにわかりました。妊娠検査薬で妊娠したというマーカーが出た時の喜びは今でも覚えています。急いで病院に行ったものの,まだ早過ぎるから後1週間したら来てと言われた時には,その1週間が凄く長く感じられました。

喜びと同時に妊娠したとわかった途端,具合が悪くなりました。まるで船酔いをしているような感覚でした。そして妊娠が確定してから6週目に出血がありました。それから家で絶対に安静にするようにと言われました。出血は時々あったのでトイレに行くとき本当に怖かったです。「赤ちゃんがどうか流れませんように」と祈りました。寝ながら「絶対に幸せにするからね。どんな子供でもいいから無事に大きくなってね。」とお腹をさすりながら毎日過ごしていました。

絶対に安静にする決めてからは買い物などは夫に行って貰ったりしていました。それから実家に暫く滞在させて貰って何もしないでとにかく布団にいた覚えがあります。

久しぶりに外食に行ってみようと夫と行ったのは無事に妊娠5カ月が過ぎて6か月目に入るころでした。何故かラーメン屋さんだったのを覚えていますが,小さいラーメン屋さんで病院以外の外の空気を吸うのが嬉しかったです。そして無事に妊娠生活を送れることを感謝していました。暫くすると胎動がしてきて,いよいよお腹には赤ちゃんがいるんだという実感が湧いてきました。

食欲は出てきていましたが,つわりは治まることはなく相変わらず船酔いのような感覚は抜けませんでした。初期の絶対に安静にしていた時よりは家事は少しずつしていたと思います。夫は家事が出来なくてもとにかく赤ちゃんを守っている私を大切にしてくれました。別の時に夫と外食した時に店の中が少し煙草の臭いがして店員さんに出来るだけ,煙草の臭いがしない所に場所を変えるようにお願いをしていました。

お腹が大きくなってくると苦しくなってきましたが,嬉しい気持ちも大きくなってきました。ずっと家で寝ていて人と会うことがなかったので,体調の良さそうな日には母親学級などに行って同じ妊婦の人に話しかけたりしました。それから病院主催の栄養の講座にも出席しました。家族以外の誰かと話したかった・特に同じ妊婦さんと話したかったのです。歩くのも大変だったので,どこか座る所を探しながら歩いていました。時にはタクシーを使っていました。ずっと一人で寝ていたので,妊婦の人と少しだけでも話すことが嬉しかったのを覚えています。友人達とは妊娠中は会えませんでした。体調の波が激しかったのと切迫流産やお腹が大きくなってからもお腹の張りが酷くて切迫早産の恐れもあったので,人と会う約束することは出来ませんでした。

体調の良い時に一度電車に乗った時に年配の方に「気が付かなくてごめんなさいね。」と言われて席を譲って頂いたのは忘れられません。私も妊婦さんを見かけたら席を譲るようにしたいと思っています。